こんにちは、kazuです。
筑波大学名誉教授でロシアの政治に詳しい中村逸郎さんについてのリサーチ記事を投稿します。
中村逸郎教授の年齢や高校・大学、これまでの主な経歴や結婚した妻、家族構成などについて調べました。
中村逸郎教授はテレビにもよく登場していて、話し方や話の中身、身体の動きにも独特なものがあり、気になっている方も多いのではないでしょうか。
そんな皆さんにとって、この記事がお役に立てれば幸いです。
中村逸郎さんのプロフィール
【生年月日】1956年11月2日
【出身地】島根県
【高校】島根県立大田高校
【大学】学習院大学法学部政治学科
【大学院】学習院大学大学院政治学研究科
出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/
中村逸郎さんは1956年生まれの2023年7月現在66歳
出身は島根県です。
高校は県立大田高校で、「みんなの高校」による現在の偏差値は63と、
県内の高校では3番目に難易度の高い高校となっています。
県立大田高校の場所はこちらで確認できます。
卒業生には、フリーアナウンサーの宮根誠司さんや小説家の日和聡子さんなど、有名人もおられます。
高校卒業後、学習院大学法学部政治学科に入学します。
現代においては昔ほどではないようですが、学習院というと家柄がよく、お金持ちのご子息・ご令嬢が通う学校というイメ―が強いです。
中村逸郎さんも裕福で格式の高い家柄に生まれ育った可能性が高そうです。
話しぶりは若干マニアックなものがありますが、上品さも随所に垣間見れ、「学習院」と思わせる雰囲気が漂っています。
大学を卒業後も大学院に進み、学習院大学大学院政治学研究科で博士課程を単位取得により退学。
その後、1983年から1990年にかけて
モスクワ国立大学
ソ連邦科学アカデミー
に留学、ロシアの名門大学と最高の学術機関とされる研究所で学びました。
中村逸郎さんの主な経歴や著書
留学を終えてからの中村逸郎さんの主な経歴は以下のようになります。
1990年頃に留学から帰国し、上智大学の非常勤講師などを経て
2000年4月 島根県立大学総合政策学部助教授
2001年4月 筑波大学社会科学系助教授
2007年7月 筑波大学人文社会系教授
2012年4月 筑波大学国際総合学類超
などを歴任しました。
2022年に筑波大学を定年退職し、現在は
筑波大学名誉教授
島根県立大学客員教授
などの役職に就いています。
中村逸郎さんの専門分野はロシアの政治、日ロ関係です。
これまでにロシアに関連する著書も多数出されています。
「東京発 モスクワ秘密文書」(新潮社、1995年)
引用:wikipedia
「ロシア市民――体制転換を生きる」(岩波新書、1999年)
「帝政民主主義国家ロシア――プーチンの時代」(岩波書店、2005年)
「虚栄の帝国ロシア――闇に消える「黒い」外国人たち」(岩波書店、2007年)
「ロシアはどこに行くのか――タンデム型デモクラシーの限界」(講談社現代新書、2008年)
「ろくでなしのロシア―プーチンとロシア正教」(講談社、2013年)
「シベリア最深紀行――知られざる大地への七つの旅」(岩波書店、2016年/文藝春秋[文春学藝ライブラリー]、2020年)
「ロシアを決して信じるな」(新潮新書、2021年)
ロシアが専門の中村逸郎さんですが、
2022年5月4日にロシア外務省は岸田総理や林外務大臣など63名をロシアへの入国禁止者リストを発表しました。
そのリストの最後、63番目に中村逸郎さんの名前も載っていました。
中村逸郎さんは、自身が「出禁」になったことについて
「リストを見て、正直ムカつきました。上から順に岸田文雄首相など偉い人が並び、私が一番最後。私をオチに使った形ですからね」
引用:https://friday.kodansha.co.jp/article/242855
と、笑って言いました。
敢えて政治家でもなく、実質的に出禁となっても何ら不利益を受けることのない中村逸郎さんがリストに入っていたのは、
中村逸郎さんがロシアにとって都合の悪いことを言い続けているからに他ならないでしょう。
ある意味で、中村逸郎さんの言論が痛いところを突いている、という事の表れでもあり、学者冥利に尽きるのかもしれません。
中村逸郎さんの結婚した妻との馴れ初めや子供は
中村逸郎さんは結婚していて、奥さんはなんと17歳年下の元教え子です。
中村逸郎さんが上智大学で非常勤講師をしていた当時の受講生で、当時大学3年生でした。
新学期が始まり、5月の連休後に受講生の名簿をみていたところ、奥さんとなる学生のところで目が留まり、直観的に「この人と結婚する」と感じたそうです。
その後、中村逸郎さんの研究室にその女性が質問をしにやってきて、名前を聞いたところ、「例の名簿の人だ!!」ということが分かったとの事。
この時が実質的な初対面だったそうです。
年が明け、女性の母親が東京にやってきて、吉祥寺の東急百貨店で3人で会ったそうです。
そしていきなり母親から
「結婚式はいつにしますか」
といわれたそうです。
この時点で中村逸郎からのプロポーズはおろか、お二人はまだ付き合ってもいなかったそうですが、なぜか話が急展開していきました。
どこまでが本当なのかは分かりませんが、研究室までわざわざ質問にくるというのは奥さんとなる女性も中村逸郎さん自身の事が気になっていたのではないかと思います。
令和の現在でもそうかもしれませんが、
大学教授と教え子が交際するということはなかなか現実的ではない面もあり、
母親の仕切りで、一気に結婚へと流れを勧めたという事なのではないかと思います。
また、これはあくまでも仮説に過ぎませんが、
教員と教え子が男女の関係になり、身籠ってしまった女性が母親に相談し、
責任を取らせようと結婚を迫った、という別のシナリオも無きにしも非ずなのかもしれません。
いずれにしても、お互いが惹かれ合うような状況にあったのは確かだと思いますので、
そこに母親が登場し、娘の幸せのために結婚を迫った、ということに変わりはないと思います。
中村逸郎さんが36,37歳位のときの話とのことなので、結婚したのは1993年あたりではないかと思います。
現在(2023年)、お二人は結婚30年を過ぎましたが奥さんは47,8歳ということなのでまだまだお若くて、うらやましい限りですね。
中村逸郎さんと奥さんの間には二人の息子さんがいるらしいです。
お二人についての詳しい情報は分かっていませんが、恐らくは既に成人してと思われます。
大学教授の父と上智大学出身の母のもとに生まれた息子さん達ですから、DNA的に考えてもさぞかし優秀な息子さん達であることは確かでしょう。
中村逸郎さんについてのまとめ
- 中村逸郎さんは1956年生まれで島根県出身
- 県立大田高校→学習院大学・同大学院に進学
- ロシア政治の専門家として、教壇や執筆、メディアへの出演などで現在も活躍中
- 妻は上智大学で非常勤講師を務めていた時の教え子で、中村逸郎さんよりも17歳年下、36,7歳の時に結婚、二人の息子がいる
中村逸郎教授についてみてきました。
これからの中村逸郎さんの発言や動向に引き続き注目していきたいと思います。
今回は以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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